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采女の史跡 「ちちぼさん

 古市場の常夜灯が建つ角から、南へ向かう道があります。この道は南小松を通って神戸に向かう古い間道で、途中の田んぼの角には大正時代に服部泰次郎氏が設置した道標もあります。

 この道が南の山に突き当たって林に入る手前に、小さな新しい祠が建てられていて、なかには赤い布を巻いた石が置かれています。古くから地元の人に信仰されてきた「ちちぼさん」で、そばに建てられた案内にその謂れが記されています。

 このちちぼさんは、かつては普賢菩薩としてまつられていたようですが、いつの頃からかこの先の山のタブの木の元に置かれました。昨年道路拡幅のため移設することとなり、「うつべ農園」の協力により現在の位置に設置されました。

 以下に案内板の全文を引用します。

                 普賢菩薩(ちちぼさん)

 古くは釆女北の田んぼの中に設置されていましたが、耕地整理にてこの先の山の中腹前田徹様方の土地の木の根元に移動し設置されていました。平成28年,山へ続く道の安全整備のため多くの方の協力のもとこちらに新たに設置されることになりました。

 ちちぼさんいついては残念ながら明確な資料が少なく、内部地区記念郷土史「わが郷土うつべ」には普賢菩薩と紹介されています。しかし地元の多くの方は昔から「ちちぼさん」と呼び親しんできました。
 采女城とも深い関わりがあるとのいわれもあり、内部地区では宇部山(采女山)に城(采女城)をかまえた後藤家が代々支配していたが、織田信長による2度にわたる伊勢攻略、永禄十年(1567)と永禄十一年(1568)により采女城も落城。落城と共に姫や奥方が井戸にその身を投げ自害しました。その姫の死を哀れ悲しんだ民が姫の魂を慰めるために普賢菩薩をまつりました(諸説あり)。

 いつしか、子を産んだ母親が「お乳がたくさん出るように」と参るようになり、古いいわれを知らない地元の人もちちぼさんを大切にしてきました。 現存しないが、もともとは石像(菩薩様の御姿)もあったようですが、石像は不明となり現在は自然のお石のお姿でいらっしゃいます。

 内部地区は古くは日本武尊の時代から今日に至るまで多くの歴史、史跡があり、また先の山には多くの古墳も発見されているなどとても奥深い地区であるのだが、しかしながら時代と共にその歴史も薄れつつあるようであります。 今回こちらに史跡の一つであるちちぼさんをお迎えさせて頂く事により、多くの方にお参りいただき、内部の史跡を受け継いでいくことが出来ればと願っております。どうぞ一人でも多くの方に、この道を通る時にはちちぼさんにお参りいただければ幸いです。

新しい祠に祀られているちちぼさん  右手の道を上った林の中に、以前のちちぼさんがありました 以前のちちぼさんは祠もなく、そばのタブの木の元に置かれ、コップが添えられていました
 


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